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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 概要

株式会社日本航空インターナショナル(かぶしきがいしゃにほんこうくうインターナショナル、英語表記Japan Airlines International Co.,Ltd.)は、日本の航空会社であり、株式会社日本航空(持株会社)の完全子会社である。

JALグループ再編の一環として2004年に日本航空株式会社から社名変更し国際線担当会社として発足したが(社名はその再編構想による名残りである)、後に国内線担当の日本航空ジャパンを吸収合併したことにより、JAL便の運行を受け持つ単一の事業会社となった。グループを代表する中核事業会社として、一般には持株会社同様、日本航空(日航)、JAL(ジャル)と通称されることが多い。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 会社情報

社名 株式会社日本航空インターナショナル
Japan Airlines International, Co., Ltd.
設立 1953年10月
本社住所 東京都品川区東品川二丁目4番11号
JALビルディング
従業員数 14,989名
資本金 188,550,335,984円
(日本航空100%)
航空会社コード JAL/JL
無線呼出名称
(コールサイン) JAPAN AIR (ジャパンエア)
拠点空港 国内線:
東京国際空港(使用:第1旅客ターミナル)
大阪国際空港(使用:北ターミナル)

国際線:
成田国際空港(使用:第2旅客ターミナル)
関西国際空港
備 考 旧日本航空ジャパンではコールサインに
J BIRD(ジェイバード)を使用していた


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 設立1

連合軍総司令部による第二次世界大戦後の占領期における日本の航空会社による運行禁止期間の解除を受け、戦後初の日本の航空会社として日本政府主導による半官半民の体制で、1951年5月に国内航空運送事業の営業免許を取得した後の同年8月に設立された。設立当初の本社は東京都中央区銀座(現在銀座日航ホテルがある場所)に置かれ、資本金は1億円、従業員数はわずか39名であった。

まず同年8月27から29日にかけて、フィリピン航空からチャーターしたダグラスDC-3型機で試験招待飛行を実施し、それに続いて10月25日には、戦後初の国内民間航空定期便としてアメリカのノースウエスト航空から乗員とともにリースしたマーチン2-0-2型機「もく星号」で羽田空港-伊丹空港-板付空港間の定期旅客運航を開始した。その後、より大型のダグラスDC-4B型機も同社からリースし、羽田空港-千歳空港間の運航も開始した。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 創立2

運行開始時には社員数が162名に増えたものの、当初は国内線の運航のみで、しかも当時日本に乗り入れていた旧連合国陣営の外国航空会社5社による共同設立会社であるJDAC(Japan Domestic Airline Company)との運航委託を条件とした営業免許だったこともあり、JDACの1社であるノースウエスト航空の機材と運航乗務員による委託運航という体制だった。しかし翌1952年10月にノースウェスト航空との運航委託契約が切れるのを待って、新たに購入したダグラスDC-4B型機によって自社運航機材と自社運航乗務員による自主運航を開始した。

また、これに先立つ同年7月には、本格的な国際線運航に向けて、英国海外航空やパンアメリカン航空、カナダ太平洋航空などのライバル各社に続き、イギリス製の最新鋭ジェット旅客機であるデ・ハビランドDH106 コメットII型機を7月に2機発注した。しかし同機はその後設計ミスにより空中分解する連続事故を起こし運航が停止となったため、その後多くの航空会社と同様に発注をキャンセルした。

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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 国際線運行開始

次いで1953年には初の国際線となる東京(羽田空港)-サンフランシスコ線の運航を、ダグラスDC-6Bによって開始した。さらに翌年には当時アメリカの占領下にあり、国際線扱いであった沖縄線(羽田空港-那覇空港間)の運航を開始した。しかし当初は新鋭機を揃え、しかも長年の実績があり信頼性の高いパンアメリカン航空やノースウェスト航空、英国海外航空などの諸外国の航空会社との競争に苦戦したものの、地道な営業努力が実を結び、その後1955年度には国際線、国内線とも黒字に転じた他、ダグラスDC-7Cなどの新鋭機を導入し体制を整え、これに対抗してゆくこととなる。

なお、機材ラインナップが充実し企業としての体制が整ったこの頃より、皇族や首相、閣僚の海外公式訪問や国内移動の際に日本航空の特別機が頻繁に使用されることになり、1954年8月には、北海道で開かれた国民体育大会開会式から帰京する昭和天皇と香淳皇后のために、初の皇族向け特別機が千歳空港-羽田空港間で運航された。これは天皇として史上初の飛行機による移動であった。なお、日本航空機による皇族や政府首脳向けの特別機は、1992年にボーイング747-400型機2機が政府専用機として導入されて以降も度々運航されている。

1955年12月には、先にキャンセルしたデハビランド・DH106 コメット型機に代わるジェット旅客機として、当時ボーイング社が開発を進めていたボーイング707型機と、ダグラス社が開発を進めていたDC-8型機の2機種を選択し様々な条件を比べた結果、ダグラスDC-8型機4機の導入を正式に決定した。なお、当時日本航空および日本政府の外貨準備高がまだまだ低かったこともあり、その購入資金の4分の3はアメリカ輸出入銀行とダグラス社からの借款によって調達した。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 1960年代-1

1960年8月には、先月に受領したダグラスDC-8を太平洋路線に投入した他、翌1961年6月には、これまではエールフランス航空との共同運営だった北回りヨーロッパ線の自社運航を開始した。これ以降、アジアやヨーロッパ、アメリカ各地を中心とした国際線と国内幹線を中心に急速に規模を拡大し、併せて世界各国に支店網を展開していく。また、高度経済成長に伴う国内、国際航空貨物の急増に対応して貨物専用機を次々と導入しその路線網を拡充していった。

同時に、1960年代の日本の高度経済成長や東京オリンピックの開催、新幹線の開通や全日空や日本国内航空などによるの国内線の競争激化、海外渡航制限の解除に伴う海外旅行の自由化による旅客増加に先駆けてコンベア880やボーイング727、ダグラスDC-8スーパー61シリーズなどの大型ジェット機を導入する。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 1960年代-2

1965年1月には、1964年の海外渡航制限の解除に伴い、日本初の海外パックツアーブランドである「ジャルパック」を発売し、高度経済成長期以降の日本における海外旅行の増大を後押ししていくことになる。さらに1967年にはアジアの航空会社として初の世界一周路線(1972年運休)を実現し、同時に、ニューヨーク-ロンドン間の大西洋横断路線を開設した他、航続距離が増大したダグラスDC-8スーパー62シリーズの導入に伴い、東京-サンフランシスコ間の太平洋無着陸横断路線やシベリア経由のヨーロッパ直行便(開設当初はアエロフロートとの共同運航)を開設するなど、名実ともに日本を代表する航空会社となる。

また1965年には、エールフランス航空やパンアメリカン航空などのライバル各社とともに超音速旅客機のBAC-シュド・アビアシオンコンコルドを3機仮発注した。その後1967年には同じく超音速旅客機のボーイング2707を3機仮発注し1970年代前半の就航を図ったものの、両機の開発が遅れた上に超音速飛行に伴う衝撃波や離着陸時の騒音などの公害問題もあり、その後多くの航空会社と同様に発注をキャンセルした。

同じく1967年にはアメリカ占領下の沖縄にて、地元資本との合弁により沖縄諸島を結ぶ地域航空会社として南西航空(現在の日本トランスオーシャン航空)を設立し、その後の1972年に実現される沖縄返還後の沖縄諸島の民間航空の発展に備えることになる。1969年には日本国内航空から日本航空機製造YS-11型機1機をウエットリース(乗員込みのリース)し、福岡-釜山線に投入し約1年間運航した。これは唯一の日本の航空会社によるYS-11型機での国際線運航となった。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 1970年代-1

1970年7月には当時の最新鋭機である大型ジェット機のボーイング747を就航させ、これに合わせて新塗装(いわゆる「初代鶴丸塗装」)を導入した。また、後に同機の国内路線向け機材「SR」を国内幹線に大量導入して、国内線における大量輸送時代を牽引してゆくこととなる。併せてこの頃より、高度経済成長期以降の海外旅行の大衆化や、1970年代前半に実施された日本円とアメリカドル間の変動相場制導入以降の円高などによる地方発の海外旅行者の増加に伴い、大阪や名古屋、福岡などの地方空港発着の国際線路線網が充実していく。

しかし、1960年代後半からこの頃にかけての急激な事業拡大路線が、1972年のニューデリーやモスクワなどにおける一連の連続事故を招いたと言う批判もある。また、1970年代前半から中盤にかけて数回に渡り、当時各国で積極的にテロ活動を行っていた日本赤軍などの左翼過激派によるハイジャックの標的になった。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 1970年代-2

また、1970年の閣議了解を受けた1972年7月の運輸大臣通達により、日本航空は国際線と国内幹線を、全日空が国内幹線とローカル線、近距離チャーター線を、東亜国内航空が国内ローカル線を主に運航するよう定められた。この新たな産業保護政策は、「45/47体制」または「航空憲法」と呼ばれ、以後日本航空を含む航空3社はこれに従い経営を進めていくことになる。なお、同年の日本と中華人民共和国との国交成立に伴う、中華民国との国交断絶を受け廃止された日本と中華民国路線を運行するために、1975年8月に別会社の日本アジア航空が設立され、同年9月より運航が開始された。以後日本航空グループの中華民国への路線は日本アジア航空が運航することになる。

1978年5月には千葉県成田市に新東京国際空港(現在の名称は成田国際空港)が開港し、この新空港の第一号機としてJALカーゴのDC-8F貨物機が着陸する。これ以降、これまで羽田空港に発着していた全ての日本航空と日本アジア航空の国際線が新空港に移り、併せて各種整備設備や国際線オペレイションセンターなども設けられた。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 1980年代-1

1980年代に入り、日本経済の発展が進み円高が進んだことや航空運賃が下がったことなどから日本人の海外渡航が飛躍的に増加した。これに対応してボーイング747の追加発注を相次いで行い、同機種の最大のカスタマーとなった。また、同じく1970年代から導入をはじめたマクドネル・ダグラスDC-10の導入を進める他、1985年には新型機材であるボーイング767の新規導入を行うなど機材ラインナップの充実を行った他、1980年9月には日本の航空会社としては始めてのビジネスクラス「エグゼクティブクラス」の導入を行った。

これらの積極的な経営拡充を受けて、1984年にIATAが発表した1983年の輸送実績統計では、旅客と貨物を含めた国際線定期輸送実績で1位になったが、一方で、1982年には日本航空羽田沖墜落事故が発生。さらに、1985年には単独機の事故としては世界最大の犠牲者数を出してしまった日本航空123便墜落事故が発生し、これによる利用客の減少と補償経費の増加などによって一時的に業績が悪化した。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 1980年代-2

なお、この年に「45/47体制」が廃止されて国内ローカル線への就航も可能になったことにより、これまで全日本空輸や東亜国内航空の独壇場で、日本航空には幹線と一部の準幹線の運行しか許されていなかった国内線路線網も飛躍的に拡大された。しかしこれにより同時にこれまで国内線と国際線チャーター便の運行だけしかできなかった全日本空輸や東亜国内航空にも国際線参入への道が開かれた。

また、海外渡航者数が増加することに対応するとして、系列会社の日航開発(現JALホテルズ)により、ニューヨーク(エセックスハウス)やメキシコシティ、バンコクやビバリーヒルズなど世界各地にホテル網が築かれていった他、国内にもホテル網を拡大していく。なお、設立から長らく半官半民という経営体系であったが「45/47体制」廃止後の1985年9月に完全民営化の方針を打ち出し、1987年11月に完全民営化された。その後これに併せ教育事業やIT事業、レストラン事業の子会社を次々設立するなど事業の多角化が進んだ。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 1990年代-1

バブル景気がピークに達した1990年には、最新鋭機のボーイング747-400型機を導入するとともに新塗装を導入したものの、この頃より、バブル景気の崩壊や1991年1月の湾岸戦争勃発、1980年代以降の日航開発による海外のホテルなどへの無理な投資や、燃料の先物取引の失敗などの経営判断のミス、過激な労働組合活動に後押しされた人件費の高騰などの悪条件が重なり経営不振に陥る。

しかし、国内外のホテルをはじめとする不動産などの余剰資産の売却や共同運航便やコードシェア便の増加、契約制客室乗務員制度の導入などによる人件費の削減、半官半民時代に国策で運行させられていた不採算路線の廃止やJALウェイズ、JALエクスプレスなどの低コスト運行を行う子会社を設立し収益性の低い路線の運航を移管するなどの果敢なリストラを行い、1990年代中半には経営状況が回復する。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 1990年代-2

また、国内外における顧客獲得競争の激化に対応して、ホノルルや沖縄、オーストラリアなどのリゾート路線向けにリゾッチャなどのキャンペーンも導入した他、マクドネル・ダグラスMD-11型機やボーイング777型機などの最新鋭機の導入、新型ビジネスクラス「SEASONS」の導入やパーソナルテレビの導入。1980年代より導入していたマイレージ・プログラムの本格展開や国際線の正規割引運賃の導入など、新規サービスを積極的に導入してゆく。

業績が順調に推移していく反面、1998年8月には、総会屋関連企業に「観葉植物のリース料」名目で数千万円の利益供与を行っていたとして元役員らが起訴されるなど裏社会との関係が明らかになり、急遽企業行動点検委員会が設置された。しかし同年にも、株主優待券を金券ショップで換金し、総会屋対策の裏金を捻出していたことが東京国税局の税務調査で発覚するなど、構造的な腐敗体質が明らかになった。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 2000年代

その後2002年に、国内線大手の日本エアシステム(後の日本航空ジャパン)と経営統合してからは、大幅に経営体系が変わった。この経営統合は、結果としては以下の形で経営統合が進められた。

* 2002年10月 - 日本航空(現在の日本航空インターナショナル)と日本エアシステムが株式移転し、持株会社を設立(日本航空システム:JALS)。
* 2004年4月〜6月 - 日本航空便と日本エアシステム便を、日本航空便に統合。および、これを反映した商号変更(日本航空→日本航空インターナショナル、日本エアシステム→日本航空ジャパン、日本航空システム→日本航空)。
* 2006年10月 - 日本航空インターナショナル(旧:日本航空)による日本航空ジャパン(旧:日本エアシステム)の吸収合併。

現在は持株会社である株式会社日本航空の傘下として、日本航空グループの中核をなす航空会社である。なお、経営統合初期の計画では、貨物事業(国際・国内とも)を「日本航空カーゴ」として分社化する予定だったが、航空協定上問題があることが判明したため、日本航空インターナショナルの事業とした。

近年では、経営統合以降の社内の混乱による航空機の整備不良や、サービス上の混乱などの相次ぐ不祥事に伴う客離れや、原油の高騰により業績の悪化を招いているため、余剰人員や機材の削減、地方発着路線やリゾート路線などの不採算路線の統廃合や乱立する労働組合対策、世界的に見ても高いままのパイロットや客室乗務員の給与削減などの大規模なリストラを進めるとともに、新しい機内サービスや顧客に受け入れられやすい運賃体系の導入、ワンワールドへの加盟などの新たなサービスの展開を進める事で業績の回復を図っている。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル ロゴマーク

「The Arc of the Sun(太陽のアーク)」

日本航空と日本エアシステムの経営統合時に制定された。JALの"A"の上に、"ノ"の字状の円弧が描かれたデザインである。2004年4月以降は、機体塗装を含めたすべてのビジュアルイメージが統一されている。

日本アジア航空、日本トランスオーシャン航空、北海道エアシステムなどの系列会社も統合と同時期にロゴ変更されている。ちなみに、旧日本航空グループのロゴはAとLの下にグレーと赤の長方形を形取ったデザインであった。

これをデザインしたのはアメリカ合衆国の大手デザイン会社ランドーアソシエイツであり、1980年代後半の民営化後に導入された旧日本航空グループのロゴも同社の手によるものである。前塗装から、「A」の横棒がないデザインが継承されている。社内の一部では「ジャノル(JAノL)」と呼ばれている。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 「鶴丸」

初のジェット機であるダグラスDC-8型機の導入を控えた1959年より、翼を広げた丹頂鶴をモチーフにした円形に「JAL」のロゴが入ったマークが導入され、機体の塗装のみならず、制服のバッジや各種製作物、広告などにも使用され世界各国で親しまれた。

そのデザインを表して「鶴丸」と呼ばれたこのマークはあまりに有名であったために、日本航空のことを指し「鶴丸」と呼ばれることも多かった。「鶴丸」マークは、その後2度に渡る塗装の変更を受けても継続して使用されたものの、日本航空と日本エアシステムの経営統合を受けて2003年に廃止された。

なお、「鶴丸」マークは、現在も塗装変更が終わっていない一部の旧日本航空機の尾翼部分にその姿をとどめている。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 塗装

大きく別けると、1952年の自社運航のダグラスDC-4B型機の導入時に採用された初の正式塗装をはじめに、1970年のボーイング747型機の導入時に採用された初代「鶴丸」塗装。1989年のボーイング747-400型機の導入に合わせて採用された塗装。そして、2002年の日本航空と日本エアシステムとの経営統合を機に採用された、上記ロゴマークを入れた新しい現行の塗装の計4種類の塗装が過去に正式に採用された。なおそれぞれの塗装は、導入以降ロゴやフォントの変更、ポリッシュドスキンバージョンの導入などの微調整が行われている。

現行の機体塗装は2002年以降、新規導入機体だけでなく、旧日本航空グループの「鶴丸」塗装や、吸収合併した旧日本エアシステムの「レインボー」塗装が施された既存機の塗装にも重整備の際に順次導入され、2007年3月現在も変更作業は進行中である。なお、日本航空グループとしてのブランドイメージ保持のために、複数種類の塗装が施されていた旧日本エアシステムの機材が率先して変更され、2006年4月に旧日本エシステムのA300-B2/B4型機が退役し夏に売却先のアメリカへ移送されたと同時に、旧日本エアシステムの塗装は完全に消滅した。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 機内誌

機内誌として「SKYWARD(スカイワード)」があり、日本語だけの国内線版と、日本語、英語記事併記(一部案内についてはハングル語、北京語、広東語表記もある)の国際線版が用意されている。

国際線の場合、併せてファーストクラスとJALグローバルクラブ会員向け配布用の「AGORA(アゴラ)」も搭載される他、ファーストクラスとビジネスクラス乗客に無料配布される地図とレストランリスト、観光やエンターテインメイント情報が記載されたガイドブック「JAL GUIDE」も搭載される。なお、これらの機内誌は無償で持ち帰りが可能である。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 客室乗務員

国内線には日本採用の客室乗務員しか乗務しないものの、多くの国際線の路線においては日本採用の客室乗務員の他に、香港採用、上海採用、シンガポール採用、ヨーロッパ採用(フランクフルトとロンドン)、サンパウロ採用の客室乗務員がおり、各採用地を拠点に乗務している。なお、これらの客室乗務員は日本語や英語の訓練も受けている為、広東語や北京語、ポルトガル語などの現地語以外に日本語や英語も堪能である。

なお、過去には一部の国際線において、女性客室乗務員による着物着用のサービスが行われており、多くの外国人乗客から好評であった。しかし、経費削減と、機内で着用の手間がかかる上に緊急時の対応に支障が出ることにより、1980年代後半に廃止された。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 国際線1

日本の航空会社の中で最大の国際線網を持ち、アフリカを除く全大陸にその路線網を広げている。古くから国際線においては和服でのサービスや和食機内食の提供、和室風ラウンジやおしぼりサービスに代表される、木目細かい日本的なサービスを売りにしてきたが、全日空の国際線進出などによる国際線の競争激化と格安航空券の流通などによる運賃の低下による収益悪化を受け、現在では全日空やユナイテッド航空、エールフランス航空などの競合他社同様、国内線との乗り継ぎの利便性や、よりコストを意識したサービスと運賃体系の導入に力を入れるようになっている。

機内サービスの特徴としては、ファーストクラスやエグゼクティブクラス(ビジネスクラスに相当)においては、新しいデザインのシートを導入したファーストクラスや、エグゼクティブクラスの長距離国際線に導入したシェルフラットシートがグッドデザイン賞を受賞するなどシート分野においては高評価を得ている。他にも、日本航空が世界で初めて導入した和食の機内食や炊飯器による炊き立てのご飯の提供、入手困難な日本酒や焼酎の提供など、いわゆる「出張族」といわれる日本人ビジネスマンの需要に合致したサービスを提供しており、日本人ビジネスマンのみならず、日本を訪れる外国人ビジネスマンにも高い評価を得ている。

しかし、エコノミークラスのサービス内容は、新機材においてはオンデマンド形式によるビデオ・オーディオプログラムを提供している他、新型シートの導入なども行われているものの、全日空やユナイテッド航空、エールフランス航空などのコスト重視の航空会社と同様、その多くはサービス面、特にハード面で高い評価を得ているキャセイパシフィック航空やヴァージン・アトランティック航空、エミレーツ航空などの競合他社の最新サービスの後追いである。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 国際線2

また、上記のように全日空同様日本人ビジネス客を主なターゲットとしていることもあり、日本人乗客向けのサービスの充実に偏っていることや、日本人客室乗務員の語学力が低いこと、キャセイパシフィック航空やシンガポール航空などの他の大手航空会社では既に引退したボーイング747-200や-300(いわゆるボーイング747在来型)などの導入以来20年以上経過した古い機材を未だに使用していることなどから(特にハワイ線、オーストラリア線などのリゾート路線に投入されている機体の大半は、競合他社と比べ機齢が経っている飛行機を使っている)、同社の国際線はエコノミークラス、ビジネスクラスともども全日空と並んで欧米においては割引率が大きく、いわゆる「格安航空券」として取引されているケースが多い。

そのため、近年では旧型機材の退役を進める他に、エコノミークラスのサービス強化などにも力を入れ始めており、収益率強化を狙った外国発のビジネス客の取り込みの一環として、2007年4月1日に世界的な航空会社アライアンスの1つであるワンワールドへ加盟する予定である。また、機材更新については、ボーイング747在来型の退役を進める上で、2008年度中にボーイング787を4機新規導入するほか、2006年度から2008年度中にボーイング737「ネクストジェネレーション」を19機新規導入し、国際線にも随時投入する予定である。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 国際線 機内クラス

現在はファーストクラスとビジネスクラス、エコノミークラスの3クラス制であるが、短・中距離路線やリゾッチャなどのリゾート路線、一部の長距離路線ではエグゼクティブクラスとエコノミークラスの2クラス制になっている。なお、エグゼクティブクラスとエコノミークラス向けの正規割引運賃が販売されている。

2007年度から機内食を始めとした機内サービスの向上を行うほか、2008年度中に、快適性向上と軽量化を目的に全ての国際線用座席の交換を行うと発表している。同時にエコノミークラスの最前方へのプレミアムエコノミークラスの導入も公表された。欧米線に就航しているボーイング747-400型機とボーイング777型機を中心に各機40席程度の設置を予定しており、座席はシェルフラットシートをベースにし、全席の背もたれが倒れても後席のスペースを圧迫しないようなデザインになる。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 国際線 空港ラウンジ

航空券の搭乗クラスによって搭乗時に出発空港のラウンジを利用できる。また、JALグローバルクラブ、JGCプレミア、JMBダイヤモンド、JMBサファイアの各会員は、航空券の搭乗クラスにかかわらず出発空港のラウンジを利用できる(利用可能なラウンジと入室基準は空港毎に異なる)。

* サクララウンジ
* サクララウンジannex
* JALファーストクラスラウンジ
* JALグローバルクラブラウンジ
* ファミリーサービスラウンジ


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 国際線 身体障害者対応

身体障害者やけが人、病人などのために、用途や体格差に合わせて5種類用意された空港用車椅子や機内用車椅子。車椅子対応の機内トイレや点字案内、簡易筆談ボードや特別チェックインカウンター(成田国際空港国際線のみ)、ストレッチャーや医療用酸素ボンベなどが用意されている。なお、一部のサービスは事前予約が必要である。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 国際線 主な就航地

* ソウル(金浦国際空港、仁川国際空港)
* プサン
* 香港
* 上海
* 北京
* 広州
* 大連
* 西安
* 天津
* マニラ(ニノイ・アキノ国際空港)
* ハノイ
* ホーチミン
* ジャカルタ
* デンパサール
* クアラルンプール(クアラルンプール国際空港)
* シンガポール(シンガポール・チャンギ国際空港)
* バンコク(スワンナプーム国際空港)
* ニューデリー
* モスクワ
* ローマ
* ミラノ
* フランクフルト
* アムステルダム
* パリ(シャルル・ド・ゴール国際空港)
* ロンドン(ヒースロー国際空港)
* バンクーバー
* ニューヨーク(ジョン・F・ケネディ国際空港)
* シカゴ
* サンフランシスコ
* ロサンゼルス(ロサンゼルス国際空港)
* ホノルル
* グアム
* メキシコシティ
* サンパウロ(グアルーリョス国際空港)
* シドニー
* ブリスベーン

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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 国内線1

設立当初より国内線の運行は幹線を中心に行われていたが、1972年に日本航空と全日本空輸、東亜国内航空の大手3社に対して運輸省より事業路線割り当て(いわゆる45/47体制)が行われ、日本航空は国内幹線と準幹線の一部の運航が割り当てられることになった。しかし1985年にこの事業路線割り当てが廃止され、ローカル線などにも広範囲にその路線網を拡大することになる。さらに日本エアシステムと統合してからは、国内線を日本航空ジャパン(旧:日本エアシステム)に譲渡するとともに日本エアシステムの国際線を引き継いだが、2006年10月1日に同社を吸収合併したため、結局、旧両社の国内線を一手に引き継いで運行することになった。なお、一部の便は子会社のJALエクスプレスや日本トランスオーシャン航空、ジェイエアの乗務員と機材で運航されている。


引用元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 国内線2

近年までは、大手2社が「片方が動けばもう一方が追随」の結果、日本の航空業界を支配する両社の運賃に大差はなく、事実上のカルテルだと揶揄されることも多かったものの、国内線における全日本空輸との差別化は運賃にまで及び「片方が動けばもう一方が追随」というそれまでとは異なる状況になっている。特に顕著な例としては全日本空輸が事前予約期間限定型誕生日割引運賃(バースデー早割)を2006年度より廃止し、28日前までの予約で実質同運賃並みの運賃設定となる「旅割」を展開するのに対し、日本航空は2006年度もバースデー割引を継続させると同時に予約期限を21日前までに延長、さらに前述と同系の28日前までの予約で大幅割引の「先得割引」(ただし、競合会社がない路線は設定がない路線もある)も新設するなど運賃面でこれまで個人客向け運賃に弱かった日本航空が全日本空輸より優位に立つなど様々な戦略の変化が見られる。(なおバースデー割引については、日本航空も2006年度下期をもって設定を終了することとなった。)


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 国内線3

2004年12月1日の羽田空港第2旅客ターミナル開業に伴い、同年12月21日からは第1旅客ターミナル(西旅客ターミナル)の南北両ウイングを日本航空グループが使用、中国・四国・九州・沖縄地方への便は南ウイング、北海道・東北・北陸・近畿地方への便は北ウイングと方面別に分かれ、面積が第2ターミナルに比べて広いためカウンターやゲート付近の混雑状況が第2ターミナルに比べ少ない。

また、旅客専用エリア内にも本格的なカフェなどを設置する他、ショッピングエリアを充実させることなどで、全日本空輸(ANA)グループが移転した新設の第2ターミナルとのサービス施設の格差を段階的に解消している。また、第1ターミナルビルはスカイマーク(SKY)とスターフライヤー(SFJ)も使用するとはいえ、ほぼ日本航空グループ専用のターミナルとなり、全フライトの90%以上が直接ターミナルビルのゲートから乗降できるようになった。

羽田空港の拡張をにらみ、2007年2月22日に、新小型機としてエンブラエル社(ブラジル)の 「エンブラエル170」の導入方針を決定した。確定10機およびオプション5機の購入契約を2007年春頃に締結し、2008年中にまずジェイエアが運行している路線への投入を予定している。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 国内線 機内クラス1

国際線のエコノミークラスに相当する普通席の他にも、日本エアシステムとの経営統合後、「スーパーシート(日本航空)」「レインボーシート(日本エアシステム)」を全面的に廃止し、日本航空としては初めて国内線へのミドルクラスの導入として、通常運賃にプラス一律1,000円で利用できる中間クラスである「クラスJ」を設置した。独自のサービスとしては、茶菓の無料配布のみとなっている。現在は、MD-87とMD -81以外の全ての機材に「クラスJ」と普通席の2クラスが設定されており、現在も、MD-90を中心に席数や設置便の拡充が続いている。シート切り替えが終わっていない機材については、従来のレインボーシートおよびスーパーシートをそのまま流用している。なお、同クラスのシートはグッドデザイン賞を受賞している。


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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 国内線 機内クラス2

「クラスJ」の新設を受けて、全日本空輸はスーパーシートを「スーパーシートプレミアム」に格上げし専用運賃を設定するなど、これまで露骨なサービス相違を控えていた国内線において差別化の動きに至った。「クラスJ」は「通常運賃にプラス一律1,000円」でやや高級感のある空の旅を楽しむことができるという点が利用客に受け入れられ、常に高い座席使用率を維持している。しかし一方で、団体客や家族連れなどを避け全日空のスーパーシートプレミアムに流れる乗客も出始めたのは事実である。日本航空にとっても、利用頻度が多く比較的単価が高い路線を利用するこれらの客層が流れることは懸念材料となった。

そのため、これらの客層を獲得するため、上級クラスとして2007年12月から国内線では史上初となる「ファーストクラス」を設定すると発表した。羽田-伊丹線および羽田-福岡線に就航しているボーイング777-200に導入が予定されている。計15機に各14席の設置を予定し、運賃など詳細は未定(各種メディアの報道によると通常運賃プラス1万円程度になる模様)である。従来のスーパーシートで行われていたサービス(機内食、専用チェックインカウンター、空港ラウンジ、手荷物の優先返却、専用スリッパなど)の提供に加え、新たなサービスの導入を検討中である。

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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 国内線 空港ラウンジ

JALグローバルクラブ、JGCプレミア、JMBダイヤモンド、JMBサファイア会員、および「ラウンジクーポン」利用のJMBクリスタル会員は出発空港のラウンジを利用できる(利用可能なラウンジと入室基準は空港毎に異なる)。

* サクララウンジ
* JALラウンジ
* ダイヤモンド・プレミアラウンジ(羽田空港第一ターミナルのみ)

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キャビンアテンダントになるための基礎知識 日本航空インターナショナル 国内線 就航地

* 羽田
* 成田
* 常滑
* 伊丹
* 大阪
* 千歳
* 女満別
* 旭川
* 釧路
* 帯広
* 函館
* 青森
* 三沢
* 秋田
* 花巻
* 山形
* 仙台
* 福島
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* 松本
* 小松
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* 高知
* 松山
* 福岡
* 北九州
* 大分
* 長崎
* 熊本
* 宮崎
* 鹿児島
* 大島
* 徳之島
* 那覇

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